まちの魅力発信という言葉に対する違和感
ナバリズムを始めた当初は、まちの魅力発見という言葉を使っていた。今では、やや違和感がある。なぜか?
まちはいろんな要素で構成されていて、その様々な要素のどれかを、実際に見たり、感じたり、食べておいしかったりすることで、魅力を感じる。なので、魅力の決定権は、住民にあり、観光客にある。
「まちの魅力発信」という言葉を使ってしまうと、最初から、これとこれがこのまちの魅力という答えがあって、その答えを外に発信するというイメージになってしまう。違う。魅力は、探して見つけるもの。感じるもの。探さないと見つからない。ここへきて、その思いが強くなっている。
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