名張の酒造りの歴史余談

宇流冨志爾神社の横に、お酒の神様といわれる松尾神社がある。本殿に向かって、左に建物があり、その奥にあるのが松尾神社だ。

名張市内にお酒の神様の神社があることに興味を持って、以前調べたことがある。「名張の歴史(下)」(中貞夫著)によると、宇流冨志禰神社内にもともとあった興玉神社に、明治41年に9社を合祀。このとき、名張の酒造業仲間が酒の神として有名な松尾神社の分霊を、興玉神社に勧請した。このことから興玉松尾神社と名付けられている。

この松尾神社の賽銭箱の左側面には、おそらくこの神社の建造にたずさわったであろう9人醸造家の名前が書いてある。当時は、少なくとも酒蔵が9軒あったのだろう。(現在は、名張市内で4軒)

お名前を書き出してみると、

北村榮助

大西政之助

松田熊次郎

喜多村勘兵衛

梅田傅二

角田半蔵

前田〇造

太田秀吉

辰巳榮三郎

(〇は読めなかった字)


お名前を見て、今も残っているあの酒屋さんかなと察することのできるものもある。

さらに名張市史を調べていくと「酒はもともと米から作るものであり、米は封建経済の中軸であったから幕府は酒造に対して強い統制をくわえた。しかし、初期には自由に任せてあった。高虎が入国して上野・名張・阿保三町以外での商売を禁じたとき、同時に三町以外での酒造をも禁じた。」とある。

ここでいう“名張”は、今の“旧町”にあたると察することができる。もともとは名張市内においては名張地区でのみ酒造りが認められていた。現存する名張の酒蔵は、名張地区以外のところもあることを鑑みると、次第に認められていったということではないだろうか。

0コメント

  • 1000 / 1000