愛宕の火祭りについて調べてみた。

例年、花火大会が始まる前に愛宕の火祭りというのが行われている(今年は河川工事のため行われなかった)。改めて調べてみた。


名張に愛宕神社が来たのは、江戸時代に大きな火事があったことがきっかけのようだ。宝永7年(1710年)に、名張町を焼きつくすような、大きな火事があり、それがきっかけで、火伏の神様である愛宕神社を黒田へ勧請した。その後、各町へ分祀していった。


愛宕の火祭りが行われるようになったのは大正時代ごろだと言われている。現在は、7月に行われている名張川納涼花火大会の開始直前に行われる。

たいまつをかついだ男衆が、新町区から、名張川方面に出て、新町橋を渡り、黒田橋から川へ降り、川を渡り愛宕神社まで歩いていく。新町区内を歩くことで厄(?)をたいまつで集め、そのあと川を渡ることで、流してもらうという意味もあるららしい。

川沿いでは、愛宕樽太鼓の音が響き渡る。花火大会のため、人込みのなかをたいまつを運ぶのは、緊張感がただよう。暗い中、炎によって周りを照らす様は幻想的だ。


今年は、河川工事のため愛宕祭りは行われなかった。来年は、工事の進捗にもよるが、地元の新町区としては祭りを行いたいという意向をもっているようだ。実施は地域の方たちの尽力があってこそ。来年は再度お目にかかれることを期待したい。




(情報源)

伊賀タウンYOUインターネット記事

名張市史

名張の今昔

名張の民俗

おきつも名張 今と昔

新町区長の談

ナバリズム

なばり みてある記

0コメント

  • 1000 / 1000